
📚 アメリカの「オレンジ計画」と大正天皇
著者:鈴木荘一
発売日:2023年11月11日
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超オススメ🎉✨

オレンジ計画とは、T・ルーズベルト海軍次官がハワイ併合の前年に策定した「太平洋制覇のための十九世紀的日本征服計画」で、その後四十余年かけて練り上げられ、甥のF・ルーズベルト大統領が「開戦の口実」を得て1941年に発動する。この間、大正天皇の支持を得た大隈重信内閣が、日英同盟に基づき、アメリカの友軍として第一次世界大戦に参戦。オレンジ計画を空洞化させた。しかし原敬内閣・高橋是清内閣が日英同盟を破棄し、日本は国際的に孤立に陥る。大正天皇の英米協調主義・皇室民主化は地下水脈となり、戦後に花開く。
アメリカの対日戦略「オレンジ計画」の概要、そして後半では、明治・大正の日本が国際政治の荒波の中で、どのような困難を伴って舵取りされたのか、歴史が良くまとまっていて理解できます。日本近代史を学ぶ上で、参考になる本です❗️✊
- アメリカにとっての太平洋戦争とは、ペリー提督が来日した際、1853年本国へ、「イギリスの極東における勢力と拮抗するため、沖縄にアメリカ海軍基地を建設すべきである」と書き送った頃から始まる太平洋制覇構想の実現である。
- アメリカの本音は「オレンジ計画」。「東京裁判史観」は、敗戦に打ちひしがれていた当時の日本人を洗脳して占領政策を円滑に行うため便宜的に作られたアメリカの建前である。しかし、日米ともに、「アメリカの本音であるオレンジ計画」は忘れ去られ、「アメリカの建前である東京裁判史観」が一人歩きするようになった。
- 国際政治は、建前でなく、本音のぶつかり合いで動いている。アメリカという国は、「オレンジ計画」にみられるように、緻密な長期戦略を立てて軍事外交に取り組む国なのである。
- 日清戦争(1894年〜)・日露戦争(1904年〜)と、十年間に二度の大戦争を戦った日本には、平和という安息・休養が必要だった。ところがアメリカは「日本人移民排斥論」、ドイツは「黄禍論」をぶつけて、日本に圧力をかけ続けた。
- 日本を嵌めようとするドイツの国際謀略。ヴィルヘルム二世がアメリカに「黄禍を争点とする日米戦争」を勧め、アメリカが「モンロー主義」を墨守するよう願った。
- ハワイ王国は「鎖国政策」を採らず「開放政策」を採り、難破船の入港・援助など惜しみないアイランド・ホスピタリティーを与え、アメリカ人移民の土地取得や農場経営を容認し、アメリカ人移民を信頼し大臣・高級官僚などに登用した結果、アメリカ人移民に国を奪われた。
- アメリカという難問。アメリカの要求を受容すれば、徳川幕府滅亡が示すように、日本の国内がもたない。国内合意=挙国一致を優先すれば、昭和前期の政権が失敗したように、対米関係がもたない。日本の為政者は、アメリカが西海岸へ達した1948年以降、ほぼ一世紀にわたって、「アメリカとの距離感」という外交・内政の舵取りに、苦しみ抜いてきたのである。
- アメリカ人移民らが、1. 先住インディアンを駆逐して、アメリカを建国し、2. メキシコ領テキサスへ大挙して移住。テキサスをアメリカへ併合(1845年)し、3. ハワイへ大挙して移住し、カメハメハ王のハワイ王国をアメリカへ併合(1898年)した。という「アメリカの国のかたち」なのである。
- 1898年前後は、世界史上、「剥き出しの帝国主義」が加速した激動の時代だった。
- 「T・ルーズベルトは親日家だ」というのは、面会した日本人(渋沢栄一、金子堅太郎ら)が社交辞令を真に受けて舞い上がり、日本人に伝えただけのことだったらしい。T・ルーズベルトの「表の顔」は、日本に憧れた親日家だったが、「裏の顔」は、日本を軍事征服するための「オレンジ計画」を策定した、「アングロ・サクソン至上主義の帝国主義的侵略者」だったのである。
- 「オレンジ計画」策定に強い影響を及ぼしたマハン大佐は、アメリカ海軍にとって「偉大なる栄光の人物」であり、日本にとっては「最悪の疫病神」というべき人物である。彼の信念は、「米墨戦争・米西戦争の次は、未熟で貧しい小国日本を征服し、日本をアメリカの植民地にすべき」というものだった。
- 「オレンジ計画」がスタートし、1923年にほぼ完成するまで、一貫する戦略は、「アメリカ海軍は、日本周辺の諸島を占領し、日本海軍を壊滅させる。その後、『完全な経済封鎖』を行い、日本を『無条件降伏』へ追い込む!」ことだった。
- 1945年6月に実現する『沖縄占領』は、アメリカが東シナ海における制海権を確保するため、ペリー提督時代に発案され、90余年かけて実現した『国家百年の計』ともいうべき「アメリカの主要戦略テーマ」だったのである。
- 1913年頃からアメリカで吹き荒れた『黄禍論(日本人移民排斥)』は、「平和を希求し戦意の無い日本人」を侮辱して激昂させ、日米開戦に引き摺り込むための挑発でもあった。「アメリカの挑発に乗ってはならぬ!」と警鐘をならす日本人は、やがて、同じ日本人から白眼視される窮状に陥った。
- 日本は、第一次世界大戦で連合国側に立って参戦することにより、「オレンジ計画」の魔手から逃れたが、日英同盟破棄に全精力を注いでいたのが、マハンであった。
- 第一次世界大戦終了後の「パリ講和会議」で、日本は「人種差別撤廃」を提案。賛成多数となったが、議長のアメリカ大統領ウィルソンは却下。「自由・平等・博愛の高邁な理想」を掲げてはいたが、「白色人種限定であって、有色人種は対象外!」だったらしい。
- T・ルーズベルトのモットーは「太い棍棒を持って静かに話す」だったが、F・ルーズベルトの信念は、「太い棍棒で威嚇し、挑発して、暴発させ、仕留める!」だった。
- 老害としての山縣有朋。伊藤博文死去により、最高権力者となった山縣有朋は、第二次大隈内閣を倒閣。山縣有朋の外交方針(日本は中国・韓国と組んで『黄色人種連合』を結成し、日本は『黄色人種連合のリーダー』として、『白色人種連合』に対抗する)を奉ずる原敬内閣・高橋是清内閣(外相内田康哉)により「第一次世界大戦終結後のシベリア出兵継続」「日英同盟破棄」され、日本は国際的孤立に陥り、「オレンジ計画発動の口実」を与えた。
歴史を多角的に見ると、ある点で評価されている人物が、別の視点から見ると利己主義が強くて、世界のパワーバランスに沿った国の安全保障が見えておらず、国策として間違った判断をしてきたことが分かります。明治から昭和期にかけて、日本が舵取りを誤った分岐点はいくつかありますが、この本では、死去するまで「長州攘夷思想」を採った山縣有朋の影響力が「太平洋戦争敗戦に至る分水嶺」となった、と示されています。過去から学ぶためにも歴史は十分に検証する必要がありますね🔥
📚 近衛文麿 野望と挫折
著者:林千勝
発売日:2023年7月23日
おすすめ度:
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皇室に次いで由緒ある歴史を持つ藤原氏嫡流の五摂家筆頭であり、人材の乏しかった戦前の日本で期待と人望を集めて政権を担った近衛文麿。首相時代はマスコミに強い赤色分子(風見章、尾崎秀実ほか)を重用して「敗戦革命」の策謀を利用する。軍を煽りに煽って支那事変を拡大し、日独伊三国軍事同盟を成立させ、南部仏印進駐に同意して、米英蘭の対日石油全面禁輸を招き、大東亜戦争へ道筋をつけて東條英機陸相にバトンを渡し、舞台裏にさがる。戦争中は東條内閣を批判し、しきりに戦争反対の運動を続ける。戦争末期には近衛上奏文で、共産主義者と陸軍統制派に責任転嫁し、自らは民主主義陣営の側にたつ立場であるとアリバイ工作をする。戦後はいち早くマッカーサーを訪れ、自ら改憲の音頭をとり、昭和天皇退位を画策する。そして新米政権を樹立して自らが覇権を握り、アメリカとソ連の両方を手玉にとることも考えていたという(源氏と平氏を手玉にとるのと同じ感覚)。このような大望を第一次近衛政権発足前から抱いていた近衛であったが、GHQにも共産主義が浸透しており、反共産主義の立場を鮮明にしたために、アメリカ人を手玉に取ることはできず。結局近衛は極東国際軍事裁判の被告となることになり、命を絶ったのでした。
自らの野望実現のためには、何百万人もの犠牲と日本の敗戦という結果はどうでもよかったのでしょう。一般の国民や国民のために祈る存在である天皇の考え方とは根本的に異なります。天皇の外戚となることによって揺るぎない権勢を手に入れ、十世紀から十一世紀にかけて栄華を誇った藤原道長の絶頂期の歌を口ずさみ、満月を眺めて「かくありたきものよ」と感慨に浸っていたということです。
この世をば わが世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば
千数百年にわたって権力に執着しづづけてきた藤原氏。藤原氏の血にとっての最上位の価値観は、残念ながら皇統への崇拝にあるとはいえないとのことです。近衛は学生時代に明治天皇への反抗的な姿勢を示し、自分より十歳年下の昭和天皇に対する崇敬の念も無かったようです。このような態度をとるものは当時の日本人にはほかにいなかったとのこと。近衛にとっては、天皇の存在自体が疎ましいのであったのかもしれません。大東亜戦争への道はイコール近衛内閣であり、近衛文麿は国を滅ぼして、藤原の世を作ろうとしたのでした。
公卿はある勢力とある勢力を争わせて、その間に漁夫の利を占めることを能とする。駒の位置づけ、性格、そして動かし方に長けていて工夫を凝らしに凝らすのが公卿流とのこと。日本の歴史は公卿の罪悪を隠蔽して、武家の罪のみを挙示する傾きがある。大東亜戦争の責任も武人のみが負うことになった。日本の歴史は大抵公卿もしくはこれに類する徒が書いたのだから、甚だしく歪曲したものである、とのことです。
大東亜戦争(太平洋戦争)の責任は東條内閣と軍部にあると、僕たちは無意識に洗脳されてきたように思います。教科書などでは歴史の詳細は省略され、軍部の暴走により不可抗力的に支那事変(日中戦争)から真珠湾攻撃へ向かったという表面的なことだけが淡々と描かれています。官僚組織も軍も縦割で、戦術的なミスを犯し続けたことを解説する本はありますが、本書のように支那事変から終戦までの日本の国家戦略と国の舵取りがどういうものであったか、詳細に記した本には初めて出会いました。実際には、支那事変は外交的に解決するための努力が行われていましたし、アメリカによる経済制裁を受けたときに、独ソ戦に呼応して北進し、ソ連を挟み撃ちにするという勝てる戦略もありました。(ソ連領内から戦略物資も確保できた。)近衛と彼を取り巻く共産主義者らの策謀によって南進が決定されたときもひたすら西進し、ドイツと連携して英国を先に降伏させるという、陸軍秋丸機関による勝てる戦略もありました。(米国民は第一次世界大戦の犠牲の記憶のため、参戦には反対していた。)東條内閣発足後にハワイを攻撃し、太平洋に戦場を拡大したのは、海軍の不可思議な行動だったのです。
本書で、国民が期待した個人が自らの野望実現のために、いかにして国家を裏切り、破滅に導いたのかを学ぶことは重要です。近衛文麿と共産主義者たちはそれぞれの思惑でお互いを利用して、日本を敗戦に追い込み、そして日本の歴史は戦争前後で連続性が絶たれてしまったのです。本当の歴史を学んで、それを現代の課題に活かさなければならないと思いました❗️❗️
📚 日米戦争を策謀したのは誰だ! ロックフェラー、ルーズベルト、近衛文麿 そしてフーバーは
著者:林千勝
発売日:2019年2月20日
おすすめ度:
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なぜ「平和」は「戦争」に負けたのか?このことを深く掘り下げて探究することが本書の狙いです。「平和」の陣営と「戦争」の陣営にいる主要人物に焦点が当てられています。
ロックフェラーの世紀
- 二十世紀は「石油の世紀」であると同時に「ロックフェラーの世紀」であった。
- ロックフェラー率いるスタンダード石油会社、イギリスのロスチャイルド資本で蘭領東インドに本拠地があるローヤル・ダッチ・シェル、イギリス政府資本でイランにあるアングロ・ペルシアン石油会社が世界シェアを支配していた。
- 石油利権をめぐり、ロックフェラーとロスチャイルドの攻防が激しく展開された。時には米英政府を巻き込んで、軍事援助と一体であったり、現地のクーデターを資金支援したりと「石油戦争」の様相を呈した。
- ロックフェラー一世は「国際石油資本家」と呼ばれ、証券、木材、土地開発、鉱山、紙など多くの分野に投資していて、「史上最大の資産を築いた男」と言われ、「国際金融資本家」としても位置付けられていた。
- ロックフェラー二世は、国際主義を推進する組織としての外交問題評議会(CFR)やイギリス側の王立国際問題研究所(RIAA)設立を支援。国際連盟を支持し、「孤立主義者」(不干渉主義者)は彼の敵だった。全米や全世界の宗教統一運動に力を入れた。
- 国際連帯運動を背景とした民間国際組織としてスタートした太平洋問題調査会(IPR)への支援を通じて、国際共産主義の牙城とした。
悪魔の使い ルーズベルト
- 政権に就くと同時にスターリンへの傾倒と容共的態度が同時に始まった。ルーズベルト自身に左翼的メンタリティーがあり、政権内には多くの社会主義者、共産主義シンパ、共産党員が入り込み、一大勢力となった。
- 政権発足から八ヶ月後にルーズベルト政権は国務省東欧部の反対を押し切って、ソビエトを国家承認した。これによりソビエトの国際社会におけるステータスは一気に上がり、共産主義者のアメリカへの工作の道が一挙に開けた。そして、ソビエトの狙いは日米関係の敵対関係化であった。
- ドイツがソビエトに侵攻した1941年6月以降、アメリカ共産党の地下組織は、党のネットワークというよりはソビエトのスパイ・ネットワークと言っていい状態だった。多くの文民と軍人がソビエト諜報機関に情報を提供する体制ができていた。
- 戦後の連邦議会の非米活動委員会やアメリカ陸軍によるソビエト暗号解読作戦「ヴェノナ」の公表によって、この事実が白日の下に晒された。
- ルーズヴェルトのニューディール政策は社会主義的な計画経済であり、集産主義・全体主義の方向に向かっていた。目的を達成できれば手段は問わないという思想である。持っている者を搾り上げ、増税を断行し、ますます大衆を甘やかすようになった。
- アメリカの財界や共和党筋には、「日本がひとり満州国において共産主義の防戦の役を務めているのはお気の毒だ」という考え方を持つ人々も多かった。
- 1937年10月ルーズベルトの外交が「干渉主義」へ踏み出し、日本、ドイツ、イタリアを「隔離」すべき対象国とした。同じ全体主義であって和平と自由を脅かすスターリンのソビエトは除外された。
- ヨーロッパの戦いに中立であることを宣言しながら、イギリスやフランスにドイツとの戦争を起こすように焚き付けていた。
- 大統領選挙期間中に行った平和の約束は、ルーズベルトの不誠実さと厚顔無恥なまでの不正直さを示すものであった。空前絶後の嘘と偽善、アメリカ国民に対する欺瞞そのものであった。
- 1941年6月武器貸与法の枠組みの中で、共産主義国家ソビエトへの支援が決められた。アメリカ史上最大級の汚点であった。
- ルーズベルトはドイツを挑発する企てを行なったが、ヒトラーはアメリカとの戦争を避けるべく、ルーズベルト指揮下のアメリカ海軍からのいかなる挑発に対しても、我慢に我慢を重ねて忍び難きを忍んでいたことが明らかだった。
- ドイツと軍事同盟を結んだ日本を経済制裁によって”締め上げ”、挑発し、日本に「先に一撃を撃たせる」。これによって参戦への大義名分を得ようと策略した。
平和の天使 フーバー
- 共和党出身のアメリカ第三十一代大統領(任期1929〜1933年)。筆者にとってはアメリカ史における最も偉大な存在の一人である。
- フーバーを始めとしてリンドバーグ、フィッシュ、ビーアドなどに代表される「平和」を保とうとした陣営は、アメリカ国民の「平和」への圧倒的な支持があったにも拘らず、結果的に戦争を防げなかった。
- 共産主義者を含む国際主義者たちは、フーバーたちに「孤立主義者」というレッテルを貼って攻撃した。「レッテル貼り」は今も昔も彼らのお家芸である。フーバーの信念は「他国に干渉するのを戒める」ことにあり、その意味での「不干渉主義者」だった。
- フーバーの回顧録『裏切られた自由』より。「アメリカが戦争するときはその安全保障が脅かされる攻撃を受けたときだけであり、そうでない限りは外国の揉め事に関与しない。そういう態度を保つべきである。」「干渉主義者たちは民主主義を救うために参戦すべきだと主張するが、その戦いのためには我々自身が専制的な国家にならざるを得ないことを考えてもみない。」「ソビエトの軍国主義的共産主義の陰謀は世界の民主主義の理想に反する。アメリカがそんな国を急いで救いに行く義理はない。」「南北大陸にある自由主義体制と国民の自由を守りきること。これが、我々がこれまで築いてきた文明への貢献である。」
- 「不干渉主義」は地政学的にも正しい。ドイツはイギリスやフランスと戦う気はなかったのであり、「ドイツの目は東にのみ向いている」は戦後消された重大な歴史的真実である。
- アメリカの安全保障が危機に晒されている現実はどこにもないし、軍事的な脅威もない。ルーズベルト政権は、国内政策の失敗から国民の目をそらすためにアメリカをヨーロッパの戦いの泥沼に引き込もうとしているのではなく、意図的にそうした戦争への政策を取っていると疑うようになった。
- フーバーは、ルーズベルトの大言壮語、誇張に満ちた宣伝、戦争ヒステリーを煽る言辞を批判した。1938年から1941年秋まで、全米で精力的に「非介入」「不干渉」を訴え続けた。「不干渉主義」と「干渉主義」の両派の対立は感情的なものとなり、個人攻撃・人格攻撃や罵声となって現れた。
「平和」が「戦争」に負けた日
- 真珠湾攻撃まではアメリカ世論は圧倒的に戦争に巻き込まれることに反対であった。
- (フーバーの回顧録にて)日本との戦いは戦争したくて仕方のない狂人(ルーズベルト)が望んだことであり、1941年7月の対日経済制裁は挑発行為であり、実質的には戦争行為であった。
- 1941年秋の近衛文麿の「平和への努力」のふりにはフーバーもマッカーサーもすっかり騙されていた。日米間の交渉が進捗していると信じており、鈍感であった。
- フーバーの日本の陸軍、海軍そして近衛についての理解は全く事実とは違っていた。結論から言えば、最も平和的であったのは陸軍参謀本部であり、近衛は日本海軍の一部の首脳部などと謀ってアメリカに戦争を仕掛けるべくレールを敷いていた。
- フーバーにとって、日本は「訪問しなかった国」であり、イギリスやソビエトはもちろん、ドイツやフランス、ベルギーやポーランドなどへの理解の程度と雲泥の差があった。当時日本からフーバーへの働きかけもほとんどなかった。反グローバリズムという点での日米の連携の弱さは現代にまで続く課題である。
- アメリカの大手メディアも「戦争」の側であり、ルーズベルト政権と一緒になって戦争を煽っていた。日本でも同じ状況であった。
「平和」が「戦争」に負けた訳
- 近衛は、共産主義者や国際金融資本家と繋がりがある者たちを身近に登用したという点で、ルーズベルトと共通点を持つ。近衛は己の野望のために、ルーズベルトは国際金融資本のお抱え大統領としての役割を果たしていた。
- 共産主義系列の風見章、尾崎秀実、蠟山政道、有沢広己、西園寺公一、国際金融資本系列の松本重治、牛場友彦、白洲次郎、海軍の米内光政、永野修身、山本五十六、それらすべてと関係する藤原(近衛)文麿というピエロ。
- 永野軍令部総長や山本連合艦隊司令長官たちによる意識的な戦争戦略からの逸脱が、二度の大きな勝機があったインド洋作戦、西進戦略を崩壊させ、わが国をそもそも意図せざる「太平洋」戦争の地獄へと転落させたのである。
- 「戦争」を企む側は日本に手を回していた。「戦争」の側は”昭和の藤原の乱”を上手く使いこなした。圧倒的な資金力が背景にあり、「戦争」の側の情報力と駒の使い方、人の潜り込ませ方には凄まじいものがあった。近衛は「戦争」の側を利用したつもりだったが、実は利用されたのであり、最終的に身の破滅を招いた。この図式を「平和」を維持しようとする側は気が付いていない。「平和」の側は、「戦争」の側と違って、日本の歴史の本質や深奥の内情について知らず、フーバーも日本理解を欠いていた。
- 今も戦争の危険と恐怖は絶えない。「平和」の側が「戦争」の側に勝つのは生やさしいことではない。「平和」の側が「戦争」の側以上にしたたかで周到でなければ「平和」は「戦争」には勝てないのであり、平和を維持できない。
アメリカにも日本においても共産主義者、国際金融資本家と繋がりがある者たちの策謀があり、「平和を望む勢力」が「戦争を望む勢力」に負けてしまった、という真実の歴史をしっかり認識する必要がありますね❗️今の国内情勢や世界情勢も似た構造になっていますから❗️
📚 日米開戦 陸軍の勝算
著者:林千勝
発売日:2015年8月1日
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70年前のあの戦争は、本当に無計画で非合理なものだったのか。
アメリカ合衆国政府による日本人の記憶の喪失と洗脳、歴史の改変を基につくられた戦後の体制は、「戦後レジーム」と呼ばれています。そして、「大東亜戦争は、日本軍(陸軍)が、無謀な戦争へと暴走したもの」とのレッテルを、日本人は貼ってきました。著者は、「陸軍戦争経済研究班(秋丸機関)」の報告書(英米班による「英米合作經濟抗戦力調査(其一)」など)を詳細に調査し、少なくとも陸軍は、科学性と合理性に基づいて開戦に踏み切ったことを知りました。一次資料を読み解くことによって、真実の歴史が蘇ります。
- 大日本帝国陸軍は、昭和十四年秋(開戦のおよそ二年前)、第一級の英才(秋丸次郎、有沢広巳など)を動員して本格的なシンクタンク「陸軍戦争経済研究班」をスタートさせた。日本に経済国力がないことを前提として、対英米の総力戦に向けての打開策を研究するため。各国の機密情報を含めて約九千種の資料を収集し、整理・分析して約二百五十種の報告書を作成した。
- 資源等が少ない「持たざる国」日本およびドイツのあるべき戦争の姿、総力戦としての戦争戦略の本質を理論的に明示した。同時に英米の経済抗戦力についての深い洞察と戦争シミュレーションとを、昭和十六年七月までに確実に行なっていた。
- 経済抗戦力に構造的な弱点を有する英国。日本のとるべき戦略は、脇目も振らずに南方圏、そしてインドやインド洋地域の英国の属領・植民地に対する戦線を最大限に拡大して、彼らの物資を消耗させること。短い持久期間で最大抗戦力を、主として英国に対して集中発揮させ、ソ連・蒋政権支援も遮断することであった。
- ドイツの経済抗戦力の視点からの日本の戦争戦略にも留意。ドイツがスエズ運河を確保し、日本がシンガポールを占領し、相互の協力によりインド洋連絡を再開させること。ドイツが経済抗戦力を高水準で維持するためには、ソ連の生産力を利用することが必須であった。
- まずは英国を屈服させ、米国の戦意喪失・反戦機運醸成をはかる。そして、英米といったん講和に持ち込み、次の戦いに備えて、自給自足可能で生産力を増強し得る広域経済圏の充実・発展をはかること。
山本五十六連合艦隊司令長官らによる戦争戦略(西進戦略)からの逸脱が、日本をそもそも意図せざる太平洋戦争という地獄へと転落させ、大東亜戦争を遂行不能に陥れた。
- 大東亜戦争の「開戦」の決断は、アメリカによる経済封鎖によって日本が最低限度の国民生活さえ立ち行かなくなるまでに追い込まれた末での、自存自衛のためのやむをえざる決断であり、アメリカ合衆国の侵略に対する日本の防衛戦争であった。
- 米海軍主力については、日本から積極攻勢に出るのではなく、逆にこちらへ誘い込んで撃破するという日本海軍の伝統的な守勢作戦思想を掲げていた。当時、戦力は距離の二乗に反比例すると言われており、地理的に見て、日本に比べて米国はきわめて不利である。「太平洋」は一切出てこない。
- 山本五十六の救いようのない大きな認識の誤り。真珠湾攻撃(奇襲)が、米国民の戦意を猛烈に昂揚させ、米国の戦争準備を劇的にスピードアップさせ、米国が猛烈な勢いで経済抗戦力を最大化することを可能とした。
- 米国の陽動作戦、ドゥーリトル空襲と太平洋におけるミッドウェー海戦の大敗北。再編した連合艦隊を投入するインド洋作戦を覆し、絶対的な国防圏から遠いガダルカナルでの無意味な消耗戦。ここに、インド洋作戦を始めとする西進戦略はすべて崩壊、日本の戦争戦略は完全に破綻した。
- 日本がインド洋を遮断しなかったために、アメリカは大量の戦車と兵員を喜望峰回りのアフリカ東岸航路にてエジプトへ送り、ドイツ軍によるスエズへの前進は止められ、チュニジアの戦いで壊滅した。
- 日本人は、家族を守るため、国を守るため、民族を守るため、そして、アジア諸国の独立を勝ち取るため、清く正しく、英知を尽くしてアメリカやイギリスによる侵略に立ち向かった。大義ある防衛戦であったからこそ、多くの国民が進んで勇敢に戦い、結果、二百数十万人の兵士が戦場に散ったのである。
経済学や歴史学関連の諸学会やマスコミなどは、秋丸機関に関する事実が世に明らかなになることを、今も、極度に恐れているとのことです。戦後レジームの担い手である反日勢力は、徹底して偽りの砦で秋丸機関のストーリーを固めたとのこと。真実を物語る一切の記録が削除され、この物語の主役、秋丸次郎や有沢広巳らも戦後、歴史の抹殺を図る新たな権力者たちの指示に従い、事実を歪曲して伝えたそうです。その後、「英米合作經濟抗戦力調査(其一)」が、死後、有沢広巳の自宅で遺族によって発見されました。そこからわかる歴史の真実は、帝国陸軍は、科学的な研究に基づく、合理的な戦争戦略を準備していた、ということです。山本五十六については、アメリカのスパイであったという説があるようです。二十歳台でのアメリカ駐在中、あるいは三十歳台でのハーバード大学留学中に、ハニートラップなどをきっかけに取り込まれていたのか・・・真相はわかりませんが、これはこれで今でもよくある話であるようですが😩
私たち日本人が、戦後レジーム下で安住させられてきた「夢」から目覚め正気を取り戻すのであれば、日本は必ずや変わり、日本人はより多くの幸せを獲得し、世界により大きな貢献をするでしょう、と筆者は述べています。一次資料に基づいた歴史の真実に私たちは目を背けてはいけないと思いました❗️❗️
📚 日本国史(上) 世界最古の国の新しい物語
著者:田中英道
発売日:2022年3月12日
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著者の田中先生は西洋美術史研究の第一人者として活躍する一方、日本美術が古代から、西洋のものと同等以上の価値があるとして、精力的に研究されています。また、日本独自の文化・歴史の重要性を提唱し、日本国史学会の代表を務められています。
多くの歴史家は、文献がなければ何も言えないとし、日本神話は7世紀に書かれた空想上の話であるとして、教科書にのっていません。しかし、文字がなかった時代の長い、縄文時代から古墳時代まで、形で意味を読み取ることが大事である、と著者は言います。そして、関東、東北地方に多く見られる縄文遺跡、そこから発掘された、おびただしい数の土偶・土器を見て、神話の世界が空想のものではなく、現実の国があったのだと著者は想定しています。
今よりも気候が暖かかった時代に、人々は太陽を求めて、関東・東北に定住した(太陽信仰、日高見国の存在)。だんだん寒冷化してくるに伴い、西日本に人口が移動していった(天孫降臨、日高見国の中心地である鹿島から、九州の鹿児島へ)という話は、日本の文献である古事記・日本書紀の記述が全くの空想的な物語ではなかったんだと、説得力があります。
青森県の三内丸山遺跡、千葉の芝山遺跡から発掘されたユダヤ人埴輪、世界一巨大な墳墓である仁徳天皇陵、法隆寺のすべてに見られる芸術、飛鳥文化から出発し、日本の古典として成熟した天平文化、万葉集を始めとする文学など、それらの文化・芸術的価値を見れば、日本人は縄文時代以前から共同体で結びついており、歴史や伝統が継続し、精神が成熟していったことがよく分かるようです。
この本を読めば、仏像や神社、古墳などが世界的に見ても非常に素晴らしいことが理解でき、日本の歴史がより楽しくなります!
📚 日本国史(下) 世界最古の国の新しい物語
著者:田中英道
発売日:2022年3月12日
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超オススメ🎉✨

日本では時代が変わっても、前のものがすべて消滅するとか破壊されてしまうということがありません。完全に根絶やしにしないということが、歴史の中で連続性を生んでいます。西洋の歴史の「古代」「中世」「近代」という三分法は、断絶のない日本の歴史には当てはまらない、と著者は言います。
鎌倉時代の武士はもともと天皇家、摂関家出身の人々であり、どこかよそからやってきて政治の実権を握ったわけではない。宗教でも法然、親鸞らの鎌倉新仏教は旧仏教をくつがえしたわけではなく、鎌倉彫刻は天平の古代彫刻を発展させたものであり、すべて連続性の上につらなっているとのことです。そして、室町時代の北山文化、東山文化の流れの中で、文化は支配層など一部の者だけのものではなくなり、武家も貴族も一般庶民も寄り集まって、集団で楽しむようになりました。そして、「もののあわれ」や「わび・さび」の根底にあるもの、強烈な人間主義を日本文化の基底としてとらえなくてはならない、と著者は言います。
江戸時代には百万人都市で庶民文化が花開きました。寺子屋の先生は三人に一人が女性であり、江戸の人々の教育程度は高く、学問はきわめて実践的でした。士農工商を縦の関係として捉えるのではなく、江戸は役割分担社会だったとする見方が出てきています。近代以前の封建的な暗黒の時代、そういう暗いイメージでは全くなかったとのことです。
西洋で生まれた進歩史観という歴史の見方から、戦前の歴史が否定されています。しかし、法律的、制度的な意味での民主主義は戦前からはじまっていましたし、道徳的な意味での民主主義は、飛鳥時代の「十七条の憲法」の頃からであり、日本の伝統の「和」の精神は途絶えてはいない、ということです。
外国から入ってくる「個人主義」や「権利の主張」が今盛んに叫ばれていますが、日本の歴史が培った日本文化、そして「和」の社会を大切にしたい、と思いました。
📚 初等科國史
著者:文部省 解説:三浦小太郎
発売日:2019年10月4日
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本書は戦時中の小学生が読んだ『初等科国史』の復刻版です。日本の歴史が、神話の時代から連綿と続く、天皇を中心とした物語として、文学的に描かれています。象徴的なエピソードとしては、神功皇后の新羅出兵、仁徳天皇とかまどの煙、聖徳太子の御遺業と法隆寺の堂塔、国防に尽くした天智天皇と近江神宮、宇佐八幡の神勅を受けて国をまもった和気清麻呂、菅原道真の真心と太宰府の遺蹟、死を覚悟して清盛の無道をいさめた平重盛、忠誠を貫いた楠木正成・正行親子の桜井の別れ、御稜威のもとに大東亜をしずめようとした秀吉、国民の海外発展心と鎖国、赤穂義士の仇討ち、大日本史の編纂に取り組んだ徳川光圀、国学を大成し古事記伝を記した本居宣長、かつてない困難な時勢に際しひたすら難局の打開におつとめになった孝明天皇、などがあります。そして、明治維新以後も天皇が中心となって、国民が奮起し、東洋の平和のために困難に立ち向かったことが記されています。
大東亜戦争中に発行された教科書とあって、国の守りを固くし、東亜の国々をはげまして、欧米勢力を駆逐しているという状況を説明した上で、歴史上の偉人に倣い、日本の将来をになう、立派な人物になるようにと、戦時下の心構えを最後には説いています。これはその当時の状況で、英米においてファシズムに対する戦いと宣伝されていたことに比べれば、日本の戦争目的が自衛のための戦いであると宣言されており、はるかに公正なものだと思いました。
現代の歴史の教科書が物事の事象を羅列し、表面的な事柄しか述べていないのに対し、初等科國史では、天皇や大和心を持った昔の偉人達がどのような思いを抱いて、皇室を守り、国民のため日本のために働いてきたのか、その物語が美しい文章で描かれています。日本人は古来どのような民族性を持っていたのか、先人達の思いに触れることは、人生を生きていく上で軸となる精神の涵養につながると思います。想像力を膨らます挿絵も素晴らしいです。
📚 國破れてマッカーサー
著者:西鋭夫
発売日:2005年7月26日
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スタンフォード大学フーバー研究所、西鋭夫教授によるアメリカ政府の機密文書(アメリカ政府は極秘文書を三十年後に全面公開する)から紐解いた「占領」の真の姿です。日本の戦後レジームを形成したGHQの占領政策の実態が良く理解できます。
- 「富」の魔力に惑わされ、「富」に真の幸せがあると錯覚し、日本国民は形相物凄く「富」を追求した。戦勝国アメリカが「世界一素晴らしい」アメリカ国内市場を日本の企業に提供してくれた。「日本のために」「経済復興のために」と。アメリカにとっての見返りは、日本人の服従。日本人の勇敢さ、戦闘心、「武士道」。脈々と絶えることなく流れ続けた日本国の歴史。歴史に育まれ、成長してきた愛国心と誇り。即ち、日本人の「魂」。
- アメリカが恐れ戦いた「日本人の愛国心」を殺すために陰謀作成された「洗脳」を、日本は今でさえ「平和教育」と呼び、亡国教育に現を抜かしている。
- 「日本占領」は、アメリカ外交史上最高の「成功物語」。「日本占領」をもう一度詳しく吟味すれば、アフガンとイラク占領に役立つものがあるであろう、と考えられた。
- トルーマンは、マッカーサーに史上空前の全権を与え、「物凄い権力だった。アメリカ史上、一人の手にこれほど巨大で絶対的な権力が握られた例はなかった」と評された。
- マッカーサーの日本人観は、六年間の「東京生活」を通じて変わることはなかった。「我々が四十五歳であるのに対し、日本人の知的水準は十二歳の子供のようなものだ。」残酷無比の武力を使い、アジア、アフリカ、中東を植民地にし、大帝国になったイギリスは四十五歳で、日本人は十二歳か。マッカーサーは、わずか十二歳の少年により、バターン半島で死ぬ思いをさせられたのか。
- 国の歴史とは、国民の夢とロマン、栄光と失望、誇りと屈辱を顧みることである。この弛まぬ探究により、我々の精神文化は浄化され、本質が純粋な形として浮き上がり、我々も「真実」に近づいてゆく。隣国に、アメリカに、とやかく言われることでもなく、文句を言われたからといって、我々が慄いて急ブレーキをかけ、健全な考察を中止することでもない。諸外国が東京裁判について、今でも異常に神経過敏になっているのには、それらの国々の歴史認識の裏側に、何か後ろめたいものが、亡霊のように、東京裁判に関わった全ての国々を脅かすからだろう。
- 「戦え!天皇陛下のため、皇国のため、一億特攻!一億玉砕!」と、つい前夜まで、飢え、疲労困憊した国民を鼓舞していたマスコミ(新聞、ラジオ、雑誌)は、惨敗・降伏と同時に、今までの「犯罪」が敵に発かれるのではないかと慄き、息を潜めていた。すると突然、敵将マッカーサーが「言論の自由、報道の自由」を奨励すると宣言した。恐怖から解放されたマスコミは、恰も己の過去を浄化するかのように、「恥」を拭い去るかのように、「日本帝国」「軍国主義者」「国家主義」を攻撃し、「マッカーサー元帥様」と「民主主義」の熱狂的なファンになった。「真の恥」は、その節操のない身売りだ。
- GHQの民政局は六日間で憲法草案を完成し、「マッカーサー草案」を幣原内閣に手渡した。天皇が「国家の象徴」という発想は、当時の日本人には不可能な考え方だ。「シンボル」はアメリカ人の発想だ。
- 第九条は「平和の美徳」や「戦争の悪」という「善悪の問題」以前の問題である。第九条は「本能禁止令」。女性や子供を護る本能を萎縮させられた日本の男が、戦後日本を、勇気もない信念もない怯えた群衆にしてしまったのだ。第九条は、日本を安全にするどころか、「生きるための自衛本能」を悪として否定している。
- 新日本が、「永久平和」「民主主義」というアメリカ製の祝詞を唱え上げている間、世界史上でも稀な「国造り」、日本帝国を支えてきた教育勅語は「遺跡」となっていった。その遺跡も踏み荒らされ、跡形もない。今の若い世代は「教育勅語」という漢字も見たことがない。これは、「世代間の断裂」というような生易しいものではなく、「日本史の断絶」「歴史の空白化」という亡国の前兆だ。
- 文部省がマッカーサー指令に忠実に服従することによって、教師たちに範を垂れた。『新教育指針』は、敗者日本が恰も魂を売り飛ばしたかのごとく、勝者アメリカによる洗脳に没頭した屈辱の証書である。世界史上でも、滅多にない惨劇であった。
- 朝鮮戦争の「特需」に酔った日本国民が、祖国の防衛を他国の軍隊に任せた国民が身に付けたものは、責任回避の悪癖である。日本は、日本国民が護らなければならないという責任の回避。日本の男が、日本の女性・子供を護る本能と責任からの逃避。その義務の回避。その誇りの皆無。
- 「マッカーサー元帥は1944年日本進駐以来、平和と人道に立脚した高く勝れた精神によって敗戦による混乱と窮乏のわが国民を指導せられ、……講和条約締結への希望が輝く今日の姿を築くに至った。特にわが首都東京は戦災の影響もっともはなはだしく、……閣下の絶えざる激励と理解ある指導とによって都民生活は次第に安定し、首都の復興に成果をあげ得たことは都民のひとしく感謝感激に堪えないところで、閣下の偉大な功績と卓越した識見とは、都民の永遠に忘れることのできないものである。……東京都議会は630万都民を代表し、全員一致の決議で深厚な感謝の誠意を表すものである」(『朝日新聞』1951年4月10日)東京都議会は、B29の大空襲で30万人の都民が殺されたことを忘れていたのであろう。
- 戦いに一度敗けたから、国を護ることを放棄する、しなければならない、という十二歳の少年のような発想はどこから浮上してきたのか。マッカーサーの白昼夢からだ。それを、英知として「平和憲法」の中へ書き込んだ。日本国民は己の歩む道も見出せないまま、己の夢もロマンもなく、世界を牛耳るアメリカの国益の餌食となり、利用され、感謝も尊敬もされず、アメリカの極東の砦として、終焉を迎えるのだろうか。我々の魂と情炎が、二度と燃え上がることもなく、国の宝であるべき若者たちは、国の歩みも知らず、激情の喜びや有終の美も知らず、感動する夢やロマンを見出せず、我々富国日本の住民は、二千年の国史をむざむざと犠牲にして、打ち拉がれた精神状態のまま、寂しく亡国の憂き目を見なければならないのか。
「國破れて、山河在り」は、誇り高き敗者が、戦乱で壊された夢の跡に立ち、歌った希望の詩だ。我々が自分の手で、「占領の呪縛」の鎖を断ち切らねば、脈々と絶えることなき文化、世界に輝く文化を育んできた美しい日本の山河が泣く。 ー アメリカ政府の公文書(一次資料)を長年に渡り研究し、世界から祖国日本を顧みた筆者の魂の叫びが、本文の至る所に見受けられます。戦後の6年間が、今の日本の方向性を決定したわけであり、GHQの占領政策の真実を知ることは非常に大切です❗️❗️
📚 軍事のプロが分析する『謀略の関ヶ原』ーなぜ徳川は栄え、豊富は滅びたのか。
著者:福山隆
発売日:2023年11月5日
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軍事・情報の専門家である元自衛官・陸将として、「現代の軍事理論(軍事的合理性)という新たな視点から、戦国武将の戦略・戦術などを解析して、分かりやすく説明し、斯界に新たなアプローチを提示したい」という考えで書かれた本です。古文書などの史料から読み解く従来の手法とは別の切り口で、「過去の戦いの真相」に迫ります。
軍人・指揮官にとって戦場は「霧」に包まれており、作戦・戦闘の現場は不確定要素ばかりです。そんな「戦場の霧」の中で兵学の理論を実践して戦うためには頭の中でリハーサル(予行演習)する必要があります。そのためには戦史を学んで「追体験」するのが簡便な方法でありかつ重要なようです。
そして私たち一般の人にとって古戦史を読むことの意義は「人間の本性を知る」ことだとのことです。人間が世を渡る ー 処世 ー うえで、生死を賭け、虚飾をかなぐり捨てて行う権謀術数を記録した古戦史を学び、「人間の本性を知る」ことは極めて重要なことだといいます。
卑賤の境遇から身を起こした豊臣秀吉が天下を取れたのは、苦労に苦労を重ねて「人間の本性」を知ることができたことが大きな理由であり、徳川家康も秀吉に劣らず、「人間の本性」を洞察していました。関ヶ原の戦いを前に諸将たちは、生き残りを賭けて、東軍に与するか、西軍に入るか、戦いの直前まで苦悩しました。現在も同様に、世界の国々はそれぞれの生き残りを賭けて、中国・ロシアの陣営に接近するか、アメリカに与するか迷い続けています。
古戦史もこのような視点で読めば、旧約聖書などと同様に時代を超えた人間の営みを貫く真理を読み取ることができるとのことです。古戦史や表面的な事象ではない真実の歴史のストーリーは、何も考えずに読むのではなくて、想像力を膨らませて追体験することで、「人間の本性を知る」ことができ、生きるための知恵を身につけることができるのだと思いました!
📚 太平洋戦争の大嘘 47年騙され続けた元米大統領の告発
著者:藤井厳喜
発売日:2020年12月24日
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フランクリン・ルーズベルト大統領の前の第31代フーバー大統領の著書 「Freedom Betrayed(裏切られた自由)」を元に、太平洋戦争(大東亜戦争)前からのルーズベルトの誤りを糾弾し、真実の歴史を明らかにしている。
1941年7月、後年ABCD包囲網(America, Britain, China, Dutch)と言われる対日経済制裁は、在米資産凍結、石油禁輸という厳しいものでした。これこそ「日本に対する宣戦布告なき戦争」であったのであり、「アメリカを戦争へ誘導したのは他ならぬルーズベルトその人であった」という。
「戦争を始めたいという狂人(マッドマン)の欲望」が日米戦争を引き起こしたと、フーヴァーが言うと、マッカーサーは同意した、とフーヴァーの著書にはっきり書かれているそうです。
ルーズベルト大統領の大罪として、❶日米戦争は時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズヴェルトが日本に向けて仕掛けたものであり、日本の侵略が原因ではなかった。❷1941年の日米交渉では、ルーズヴェルトは日本側の妥協を受け入れる意図は初めから全くなかった。❸アメリカは1945年に原爆を投下せずに日本を降伏させることができた、という。
アメリカにはルーズヴェルト史観を支持する人がまだまだ多いと思われますが、当時から現在に至るまで、正しく事実確認・歴史認識をしている人達もいて、決して一枚岩ではありません。
教科書に書かれていることを疑って、正しい戦前の歴史を知ることが僕たち日本人にとって大切です。
📚 古事記完全講義
著者:竹田恒泰
発売日:2013年9月17日
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明治天皇の玄孫、竹田恒泰氏が古事記を分かりやすく、そして擬音語などを用いて面白く解説した講義の書籍です。
古事記は天武天皇が編纂を命じて、編纂作業が始まって30年以上かかって712年和銅五年に完成しました。稗田阿礼という非常に頭がいい人が、それまでそれぞれの豪族に伝わっている天皇の事績を記した書物を片っ端から読み込んで、頭の中に一度覚えさせた。そして、文書を書く天才、太安万呂が加わり、万葉漢字を編み出して、表意文字と表音文字を組み合わせた画期的記述法で古事記を記しました。つまり、日本語の表記法を編み出したんですね。
我が国は現存する世界最古の王朝です。三世紀初頭には前方後円墳をつくっているくらいなので、どんなに短く見積もっても、二千年程度はあります(日本書紀には紀元前660年の元旦に神武天皇がご即位あそばしたと書かれているそうです)。その神話を学ぶということは、民族の価値観、民族の精神を学ぶということにつながります。
神代の世界観から推古天皇までの物語が描かれています。国の正史とは言いながら、登場人物が完全無欠の存在ではなく、欠点も描かれており、まさに事実を描いているのだろうと、著者は述べています。考古学的な発見により、古代のことが少しずつ判明してきていますが、古事記は古事記の物語として楽しむのが、正しい読み方なのだそうです。
📚 台湾人と日本精神
著者:蔡焜燦
発売日:2001年8月3日
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「台湾の歴史は日本の近代史でもある。日本人よ目覚めよ、そして自分の国を愛しなさい!」
日本統治時代の台湾に生まれ、「日本人」として岐阜陸軍整備学校奈良教育隊で終戦を迎えた著者が、単なる「親日」を超えた「愛日家」として、日本統治時代の台湾の歴史とその後の台湾を語ります。李登輝さんの著書も多いですが、同世代の民間人からの視点であり、このように認識されている方が多いのだと思われます。
台湾は、樺太、朝鮮と同様に「植民地」ではなく、「内地の延長」としてみられており、欧米の植民地経営の特徴であった一方的な搾取ではなく、台湾を近代化するために懸命に取り組まれました。乃木希典、児玉源太郎、明石元二郎など、いずれも明治日本を近代国家として創り上げていった偉人たちが台湾総督としてやってきました。台湾近代化の父「後藤新平」は、大規模な土地・人口調査を実施した上で、道路・鉄道・水道・港湾などのインフラ整備をはじめ、台湾の衛生環境と医療の大改善などを行い、世界有数の伝染病根源地であった台湾からマラリア、ペストなどあらゆる伝染病が消えていきました。アヘン中毒・常習者も徐々に減りました。新渡戸稲造は、サトウキビの品種改良を行うなどして、台湾に製糖産業を殖産しました。こうして領台わずか十年のうちに、台湾はもはや内地からの経済援助を必要としない自給地となりました。八田與一は、当時東洋一の規模を誇る烏山頭ダム建設にすべてを捧げ、一面不毛の大地だった嘉南平野を台湾最大の穀倉地帯に変えました。
戦後、台湾経済が成長した秘密は、日本統治時代に整備された産業基盤だけではなく、教育にもありました。戦前の日本の教育水準は非常に高く、教師達が皆教育に情熱を燃やしていた上に、なにより愛情をもって子供達に接していました。台湾で殉職した”六士先生”の教育姿勢は、水準の高い学問とともに、道徳教育、勤勉、遵法精神、犠牲的精神、時間厳守など「勤勉で正直で約束を守る」という「日本精神」として受け継がれました。「公」という観念も徹底的に教え込まれたのです。日本人教師たちのこの教育精神は台湾人教師にも多大な影響を与え、こうした素晴らしい教育が台湾全島に広まって、資質の高い人材を育てることになりました。
また、1935年(昭和10年)4月21日の台湾中北部の地震の際には、昭和天皇の国民への愛情が伝わり、いまでも年配者の多くが日本の皇室に対する親近感を抱いているのは、他のアジアの植民地とは大きな違いといえるでしょう。そして、年配者の中には靖国神社にて、かつて共に戦い、そして祖国に殉じた英霊に鎮魂の祈りを捧げたいという方が大勢居られるのです。
台湾人がもっとも尊ぶ日本統治時代の遺産は、ダムや鉄道など物質的なものではなく、「公」を顧みる道徳教育など精神的遺産であり、台湾人は、他のいかなる国の人々よりも日本を愛し尊敬し続けているのだそうです。だからこそ、自虐史観という”虚構”が、日本人から「自身」と「誇り」を奪い去り、日本国を世界の期待の声に応えることのできない”自身喪失国家”につくりかえてしまったことに対して、”元日本人”が苛立ちを覚えることもあるようです。
後藤新平の座右の銘「金を残す人生は下、事業を残す人生は中、人を残す人生こそが上なり」。今こそ日本には正しい歴史認識と道徳教育が大事だと思いました。